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小田原城の戦い(おだわらじょうのたたかい)は、永禄3年(1560年)から永禄4年(1561年)に、関東の上野、武蔵、相模において、上杉氏、長尾氏の連合軍と後北条氏によって行われた一連の合戦である。大槻合戦ともいう〔戦国合戦研究会『戦国合戦大事典(二)』新人物往来社、1989年。〕〔同時代史料でもその名が見られる(「北条氏政判物、大藤式部丞宛感状」『神奈川県史 資料編2』)。〕。この合戦は、その後10年余にわたる上杉謙信による関東遠征の端緒である。本項では、合戦の経緯として、上杉軍の越山から小田原城包囲戦前後の緒城攻防戦、関連事項についても併せて解説する。 == 合戦にいたる経緯 == 関東管領である上野国平井城城主・上杉憲政は、河越城の戦いに敗れて以来、相模の後北条氏から圧迫を受け、徐々に勢力をそがれ、武蔵から北関東をうかがわれる状況になっていた。そのため、信濃の村上義清らと上信同盟を結び、これに対抗しようとしたが、このことから信濃侵攻を目指す武田氏とも対決せざる得なくなり、結果小田井原の戦いに敗れ、本拠の平井城も危うくなってしまった。このため越後の上杉謙信(当時の名は長尾景虎(ながお かげとら))を頼った。謙信は1559年には上洛し、関白近衛前久を奉じ関東管領を補佐すべく後北条氏討伐を計画した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田原城の戦い (1560年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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